うちの弟が真正のバカであると判明した件について

うちの弟(49歳)が真正のバカであることが判明した。

 

何でも

「50近くになって、食うために働くだけの人生でいいのか」

「もっと自分らしく生きる道があるのではないか」

と悩み始めたらしい。

 

いや、気持ちは分かる、弟よ。が、50にもなってそんなことを言うから「真正のバカ」と言われるのである。そんな問いは20代までの間に終わらせておくものであろう?

 

確かに、人生折り返しはもう過ぎた。そして、自分は何を成したのかと自問すれば、胸を張って応えられるような何者をも持ち合わせてはいない。得も言われぬ焦燥感に駆り立てられる、その心情はよく分かる。何より弟よ、兄は君より2年長く生きているのだ。

 

だが、そんな悩みに答えなど無いことを知っているのが50の男というものである。あるいは、そんなことを悩むような時間すら残されていないのが我々50代を生きるものである、とも換言できる。

 

話は簡単。

「持ち合わせがあれば好き勝手にすればいい」

「持ち合わせがなければ、食うために働く」

それ以上でもそれ以下でも無いのが現実である。

(あぁ、他には「持っているパートナーを見つける」道もあって、弟には随分前に提案したことがあるが、却下されたな...)

 

そう再理解した上で、それでも現在は色々なことに手が届きやすくなっているのだから、色々と試してみたらいい。

 

移住してスローライフをおくりたければ、まずは週末農業やDIYから始めてみればいい。文化的な活動をしたければ、今はネット上に発表の機会などいくらでもある。自作の何かを販売してみたければフリーマーケットだってあるし、お金を集めたければクラウドファンディングに頼ってみればよい。

 

要は、悩んでいる暇があれば、考えろ、体を動かせ、手足を使え、以上。50代にとって最も貴重なものは時間かもしれない(まぁ、これは全ての世代に共通ではあろうが)。

 

いや無論「食っていけるか分からない」というのが悩みなのは分かっている。で、「食っていけない」と判断したから今の生活がある訳で、まぁそれだけのこと。そして、「自分らしさ」を実現して食っていけるのは一握りの才能のある人間だけで、多くの凡人には叶わない夢なのである。

 

こういう悩みを、筆者は「リベラルの弊害」と理解していて、筆者がリベラルを嫌う所以である。

 

そもそも「自分らしく生きる」なんて言葉、知らなければそんな悩みは無かったはずなのに、今や弟は、そんな叶いもしない言説に惑わされている。「やりたいことをやる」なんて簡単に言うけど、多くの凡人にとって最大の悩みは「自分のやりたいことを見つける」ことではないだろうか。10代の頃に「自分らしさ」を見つけられなかった凡人が、50を手前にして急に「自分らしさとは何か」と悟りを開くことなど、そうそうないだろう。悟りを開くこと、それもまた一種の才能なのだから。

 

それを、「人権」だの「民主主義」だの宣って、挙句の果てには「自分らしい人生」である。神様や王様が奪った「人間が本来持っている権利」を取り返そう、という運動の「『王様』を『資本主義』」に「『権利』を『自分らしさ』」と置き換えれば、まことに同じロジックではないか。Fight For Freedomは永遠に続く(つまりFightは終わらない)のである、リベラルにとって。

 

「知らなければ」という論点で少し話を拡げると、アフガンの女性も同様であろうと筆者は感じる。タリバンが女性の権利を脅かしている、などと言っているが、その言説は正しいのだろうか。かの地の歴史・文化・宗教・伝統を無視して、パリ平野の平等思想を押し付けた結果、たったの20年間だけ「女性の権利」とやらに意識が向いた。それが元に戻っただけなのに、「タリバンに脅かされる」と感じてしまう。今や「女性の権利」を知ってしまったが故に。もし並行世界が存在したとして、西欧の文化を押し付けられなかったかの地の女性と、この世界線上に存在するかの地の女性と、どちらが幸せだったのだろうか。どちらの状態が「より正しい」と言えるのだろうか。

 

さて、うちの弟に戻る。「食うために働くだけの人生」について悩んでいるようだが、彼は肝心なことを忘れている。このコロナ禍にあって、今日食べるものにも困っている人達がいる、という事実である。彼らの存在を忘れて「食うために働くだけ」等と言っていたらバチが当たるというものである。

 

「今日、食うことができること」

「今日、食わせてくれる人や会社・世間様があること」

これらに感謝し、これらにご恩返しをする、という大事な部分を、我が弟ながらすっかり忘れてしまっている。こういう保守的な(筆者はこれこそが保守の原点であると理解している)思想を大事にすることこそが、分別のある、50男の立つべき位置ではないだろうか。

 

チャーチルが言ったとか言わなかったとか、所謂「若くしてリベラルでなければ学びが足りない、老いて保守でなければ優しさが足りない」とか云々。うちの弟が50近くにもなって「自分らしく」などと悩んでいることを「真正のバカ」と筆者が評する所以である。

 

その上で、まずは何か試してみたいのであれば、今は色々な環境が整っているのだから、試してみたらよい。それをリーンスタートアップと言っても、アジャイルと言っても構わない。思えば、我々が子供の頃、昭和の人生設計はウォーターフォールであった...それが21世紀も20年が過ぎ、今や人生さえアジャイルに開発できるのかもしれない。Viva Democracy!!

 

昨日はうちの弟の49回目の誕生日であった。来年になれば四捨五入して100歳になる訳で、まぁあと1年、せいぜい悩むがよい。Happy Birthdat!