FALLACY OF HASTY GENERALIZATION

この言葉を聞いたのは学生時代のことである。確か「性急なる一般化の誤謬」とかって訳だったと思うが、要は「一部を見て全体がそうだと決めつけてはいけない」ということだったと記憶する。

 

「女性がたくさん入る理事会は時間がかかる」

「誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。みんな発言される」

(以上、産経ニュースより抜粋)

 

うん、きっとあの人の周りはそうなんだろうなぁ、というのが筆者の印象。女性蔑視とかバッシングされているが、きっと問題の本質はそうではないと思う(決してそれを否定するつもりでもないが)。

 

某知事とか、某元防衛大臣とか、某元総務大臣とか...あの世界ではきっとそうなんだと思う。つまりはあの世界、男性は年功序列であるのに対し女性は実力主義(あるいは目立ったもの勝ち)なのではないだろうか。

 

「日本では女性議員の比率が少ない」

「政治の世界では女性は差別されている」

 

等と良く批判されるけれども、それは果たして正しいのだろうか。無論、表面上は正しくて、議員に占める女性比率は、人口に占める女性比率と合致しない。しかし筆者の疑問は、人口に占める「議員になりたい」比率は、男女ともに等しいのだろうか?というところにある。例えば人口10万人当たりの「男女別議員になりたい比率」が、女性が男性の1/10しかいないのであれば、女性議員の比率は1/10になるのが当然ではないだろうか?

 

筆者にはかつてこんな経験がある。筆者の経営する会社のとある女性社員に「将来役員になって経営を助けてくれないか」とお願いしたところ、彼女には断られてしまった。曰く

「若い時であれば大変嬉しいと感じたと思いますが、今は家庭がありますので...」

 

無論、男性にだって同じ理由で断る人がいるであろうし、彼女には本当はもっと別の理由があって(やんわりと?)断られたのかもしれないし、そもそも筆者の数少ない経験を元に論を展開することが誤謬に満ちていることは充分承知しているつもりではある。あるけれども男女を比較した際、女性の方が仕事より家庭を優先する傾向(比率)が男性に比して高いと感じるし、そこは多くの人に同意してもらえるのではないだろうか(ここで筆者は、「女性は家庭を大切にするべきだ」などと言っている訳ではなく、単に「女性の方が(自発的に)家庭を優先にする人が多いようだ」と言っているに過ぎない)。

 

あるいは、これは橘玲氏がどこかで書いていたことであるけれど、女性は男性に対してリスクを取りたがらない傾向にあるのだそう。だから、当落が不透明な選挙に「リスクを取って」立候補することが少ない一方、確実に勝てると思える場合には、むしろ女性の方が率先して出馬する傾向が見られるのだそうだ。こんなところにも女性議員比率の問題があるのかもしれないと思う。

 

それであの世界の話に戻る。大量生産される男性議員は(きっと派閥の力学で?)当選回数に応じた役職につくのが慣例。大企業もそうだけれど、少しづつポストを与えて仕事をやらせて、伸びた人間が更に上に行く(多くの例外もあるが < ポエム大臣とか?)。以前筆者が勤めていた会社には「仕事が人を育て 人が仕事を拓く」という標語がいたるところに掲示されていたのだが、企業も政治家も、人材育成という観点では根っこは一緒なのだろう。

 

一方で、女性の場合。せっかくリスクを取って勝負したのだから、多くの同僚議員の中で「埋没する訳にはいかない」「早く立身しなければ」と考える。あるいは、「うかうかしているとポッと出に持ってかれる」とか、あの世界ではむしろ、そういう思考(指向?嗜好??)の女性が多いのではないだろうか。

 

で掲題。だからあの人はあんなことを言ってしまったのではないだろうか。だって自分の周りには、そんな女性が多いから。というのが筆者の印象である。問題の本質は、あの人の女性蔑視観というよりは(まぁ、それもあるだろうけど)、あの世界の女性の特徴を、全ての女性の特徴であると袁譚してしまったことにこそあるのではないだろうか、と。

 

無論、この論自身が某知事というサンプルを女性政治家全般に当て嵌めるという FALLACY  に陥っているということが、本論のオチではある。