OEM3.0

2007年か2008年頃のことだと思うので、もう15年くらい昔の話になるだろうか、掲題である「OEM3.0」というコンセプトを筆者が思いついたのは。

 

OEMという略語はご承知の通り Original Equipment Manufacturing の頭文字である。で、新聞等でこの用語が使われる時には「OEM(相手先ブランド供給)」等と注釈が付けられていたものであった。そして筆者は永らく、この注釈には疑問を抱いていたのである。「相手先」「ブランド」「供給」???Cusomer’s Brand Supplying 略して「CBS」だったらまだ判るのだが、何故「OEM」???

 

困った時はWikipedia先生に教えを請うのは、昔も今も変わらない。まぁ、もしかしたら当時とは少し表現が異なっているのかもしれないが、Wikipedia先生は筆者に優しく教えてくれたものである。OEMは何故OEMなのか?

 

「1950年代にIBM社で造られた造語とされ、1960年代後半からDEC社の制御用ミニコンピュータの販売対象の業界の定義としてアメリカ合衆国OEMという言葉が次第に使われ始めたと考えられる。

(中略)汎用性のあるコンピュータをコンピュータ製造業者A(以下「業者A」)から購入した別のコンピュータ製造業者B(以下「業者B」)がそこで独自の技術的(ハードウェアやソフトウェアなど)価値を付け加え、独特の、または特定(汎用の反対の意味)の機能を持つ製品に造り上げ、業者Bは付加価値再販業者(VAR)としてその製品を市場に出した製造者を指した(後略)」

(以上、Wikipediaより抜粋)

 

なるほど、IBMのコンピュータをDECが販売する際に、DECがOriginal Equipmentを付け加えて差別化した商品を作り上げたからOEMと言うのか、ふむふむ...そしてその時、筆者の頭に天啓のように閃いたのが「OEM3.0」というコンセプトであった。そう、OEMのそもそもの意味であるところの付加価値再販のことを「OEM1.0」と定義し直してみよう。そうすると「相手先ブランド供給」はさしずめ「OEM2.0」とでも言うところであろうか。1.0から2.0に進化したのだから、訳語が変わってしまっても仕方あるまい。そしてこれから世界を動かすのが「OEM3.0」であるに違いない。これが当時筆者の考えたところであった。

 

「OEM3.0」の話をする前に、ここで商品バリューチェーンに登場するプレーヤについて定義しておきたい。まずは「投資家」がお金を持って現れる。「投資家」は「製造業者」に投資し、「製造業者」はその資本を元に工場を設立し、設備を用意する。そして原材料を購入したら加工を行い、完成した商品を「販売業者」に卸す。そして「販売業者」が仕入れた商品を「消費者」に販売することで、このチェーンは終端する。ざっとこんなモデルをベースに考えてみる。

 

このモデルに登場するプレーヤの関係は一方通行である。仮に図示するならば「投資家」>「製造業者」>「販売業者」>「消費者」となるであろう。そしてそれぞれのプレーヤは、ここが重要なポイントであるが、固有の役割を果たすことのみが期待されている。「投資家」はカネを出し、「製造業者」が製造する。「販売業者」は販売し「消費者」は消費する。これが「OEM以前」の世界であった。

 

「OEM1.0」の時代、このモデルに異変が発生した。「販売業者」が従来の役割である「販売」に加えて、「製造」の一部までをも手掛けるようになったのである。Original Equipmentの実装という「製造」を。ただし、ここでは「製造業者」>「販売業者」の関係はまだ変わっていない。この関係に変化が起こるのが「OEM2.0」の時代である。

 

冒頭紹介した筆者の疑問、何故「OEM」の訳語が「相手先ブランド供給」になったのか。その答えはここにあった。すなわち「製造業者」と「販売業者」の関係が、「販売業者」が「製造業者」に「製造」を「委託」する関係に変化したのである。所謂プライベートブランドの始まりである。そしてPB商品のPQCD、すなわちProduct、Quality、Cost、Deliveryは、「販売業者」がこれをコントロールするようになった。「製造業者」>「販売業者」というかつての一方通行の関係は、今や「製造業者」<>「販売業者」という双方向のものに生まれ変わったのであった。これが「OEM2.0」である。

 

そして2000年代に入ってこのプレーヤ達の役割は、更に大きく変わることになる。そう、「OEM3.0」とは、プレーヤと役割が分離する時代なのである。

 

筆者がこのコンセプトに思い至ったのは、実はオバマ元大統領が民主党予備選に勝利したというニュースがきっかけであった。オバマ候補の対立候補であったヒラリー・クリントン氏は、その知名度と、何よりその集金力(何しろ元大統領の奥様なのだ)で予備選勝利間違いなし、と当初は目されていた。だが結果はご承知の通り。しかも驚くべきことに、選挙期間中の集金額ですらも、オバマ氏はクリントン氏に勝ったというのである。大口献金企業を多く抱えるクリントン氏に対してオバマ氏が採った集金戦略はインターネットの活用、今で言うところのクラウドファンディングであったと言う...

 

そう、インターネットが世界を変えたとしたら、それは「あらゆるプレーヤがあらゆる役割を担うことのできる」世界を作り上げたことにあろう。アマチュアとプロフェッショナルの間に本来あるべき障壁は、ベルリンの壁と同じ運命を辿ったのであった。

 

つまり「OEM3.0」とは、それまでは各プレーヤに与えられていた固有の役割を、誰でもが状況や選好に応じてどの役割でも選択して遂行することが可能になった世界なのである。かつては一部の「持てる者」しか果たすことのできなかった「資本家」の役割は、クラウドファンディングを利用すれば、今や一個人ですら果たすことが可能になった。3Dプリンタに代表される製造工程の民主化は、個人が「製造業」の役割を担うことすら可能にした。ECにより個人が「販売業者」として商品を販売するようになってから久しいことは言うまでもない。このように個人ですら「消費者」(これはOEM以前からその役割を果たしてきた)の役割のみならず、「販売業者」にも「製造業者」にも、「資本家」にすらもなることができるのが、「OEM3.0」の時代である。

 

この「プレーヤ」と「役割」の分離は、これから広範な分野・業界で次々と実現していくことであろう。PV(太陽光発電)やEV(電気自動車)が今や、大資本を必要とする原子力に替わる分散型発電所として期待されていることなど、その証左であろう。

 

実は十数年前の当時、某大学経営学部の松〇教授に「OEM3.0」のコンセプトを披露したところ思わず好評を得、もし文章にまとめるのであれば協力する、とまでの有難いお申し出を頂いたのであった。しかしながら実際のところ、いざ書き始めようとしたところそれは書籍にしてもせいぜい十数ページの分量にもならず、いつしか文章化計画は忘れ去られたまま十数年の年月が経ってしまったのであった。その間の社会の変化は目まぐるしく、また、その間個人的にも色々とあり、今更それは書き綴るほどのものでもなかったのではあるが、今日、とあることがあって久しぶりにこのコンセプトを想い出してしまった。それで、何か残しておくのも悪くはないと思い直して、とりあえず、簡単ではあるけれどもここに記すことにしてみたのが本稿である。あの時〇村教授は「傍証を集めて論旨を補強し、同時に文書全体のボリュームを増量するのであれば任せてくれ」とまで言ってくれたのだけれど、やっぱりこの程度の内容では、難しかったですよね...松村先生?