女系天皇に関する私見

筆者は女系天皇に「消極的」賛成である。

 

「消極的」の意味は以下

①他に選択肢が無い場合には、断絶するよりベター

②よく考えると、皇祖神は女神様

③歴史を振り返ってみると、「男系」は何となくあやふや(継体天皇

④「日本」の「天皇」は女帝から?

 

①は文字通りの意。従って、現に悠仁親王殿下がおわす限り、今上陛下のご子孫に皇統を限るべきだとは考えていない(今上陛下のことは心よりご敬愛申し上げているけれども)。その上で、仮に親王殿下あるいはその系統がその次に皇位継承できない場合になるのであれば、愛子内親王殿下あるいはその系統のご即位を考慮する前に、戦後臣籍降下された旧宮家から立太子して頂くことを考えるべきであろう、とは考えている。

 

②以下は、それでも「女性」しか残らなかった場合について。断絶させるくらいなら「女系」を受け入れるのだけれども、その際の「納得」の仕方。単に「仕方ない」よりは多少は積極的な理由を挙げているつもり。

 

②も文字通り。皇祖神は天照大神という女神様であるという。何のことはない、天皇家の最初は女性だった、と理解することにしている(尤も、誓約の辺りはややこしく、実父は素戔嗚尊?なのかもしれないけれど...)。

 

③はとっても重要。第26代継体天皇は周知の通り、第15代応神天皇の5世の孫、ということになっている。がしかし、応神天皇から継体天皇に至る男系の系図記紀では省略されている(つまり、継体天皇は男系で継承していないかもしれない)。一方で継体天皇の后は、第24代仁賢天皇の皇女(手白香皇女)であり、その間に生まれた第29代欽明天皇が現在の皇室の直接の祖につながる。以上より、少なくとも記紀編纂当時の支配者階級は、男系(継体天皇)の系図を省略しても、女系(手白香皇女)が繋がっていればOK、と考えていた(男系女系並制)と考えることはできそうである。

 

④はほとんどこじつけなのだけれども、「日本」国の「天皇」号は天武天皇あるいは持統天皇の時代に始まるとされる。すなわち、それ以前は「倭」国の「大王」であった。それを唐制に真似て称号を変えたのであるが、これがもし「持統天皇」が最初の天皇であれば、「日本国天皇は女系から始まった」と言っても嘘ではないかもしれない(ちょっとご飯論法っぽくもないけど)。持統天皇には自分の子孫に皇位を継承させる意図があったと言われるが、③と同様、当時はそのような(女系による)継承もまた認められていた傍証と言えるかもしれない。無論、初代を神武天皇から数えて今上陛下は第126代であらせられる訳で、持統天皇から数えていないことは承知の上での、まぁ、納得するための理由づけ。

 

ところで、内親王殿下が駆け落ち(?)に近い形でご結婚される等との報道に触れる度に思うのである。まぁ、これまで皇室の歴史には様々な事例があって、臣籍降下されて幸せだった方もご不幸な目に合われた方も、男性女性問わずいらっしゃるのである。源氏物語など、平安の世はさぞやと思うばかりの自由恋愛横行のご様子で、ご本人のご意向で皇室を飛び出したその後のことなんて、周りがとやかく言うものでもない、と思う。一方で「ご本人の意思を尊重して」なんて大仰に捉える必要もなく、単に Let It Be に過ぎぬのであれば、「どうぞお幸せに」と言うだけである。

 

ただ一点、第59代宇多天皇のように、臣籍降下された後で皇位に就かれるケースもあるので、K氏が将来外戚として振る舞う可能性が残るところは、感情的に反対(そこに論理的理由はない)。だから、そうならない前に今上陛下のご子孫に皇統を戻して頂く余地を残しておくためにも、女性宮家の創設には賛成。つまりは創設のタイミングと法制で、過去に臣籍降下された女性には宮家を創設させなければ...かなと思う。

 

だって、「そうなったらその時考える、今は親王殿下優先」という男系男子原理主義者の言うところに従うと、「その時」に皇籍復帰させる範囲によってはK氏が...なのである。一応、そのための布石として、親王殿下への継承を優先させつつ、嫡流を今上陛下流に戻す道を残しておきたい、と思うのである。以上が、現時点で女系を「消極的」に認める理由。

 

因みに、皇統を継ぐべき男系男子を増やすための別の策として「皇室男性には女御・更衣(=お妾さん)を認めるのはどうか?」と家人に言ったところ、「そんなのあり得ない」と即答であった。まぁ、そうだわな。女性は子供を産むための機械ではないのだから。でも本当は、それこそが血筋を残すための工夫であり、それでも何度か絶えかけたのではあるけれども...ダメよね?