ポストコロナ

ポストコロナ、アフターコロナ...

巷間、何やら世界が大きく変わるかのように言われる。

本当だろうか?

この2,3カ月の間ずっと考え続けているのだけれども、未だに世の中がどのように変わるのか、全く分からない。どう見ても世間が騒ぎすぎているだけのようにしか、思えないのだ。

 

そりゃ、短期的にはマスクをしないと外出できず、飲食店にはアクリル板が置かれ、レジに並ぶ時には距離を取り、東京モンが旅行すると石を投げられる...という変化が見られることは事実であるが、これから先もずっとそうなのか?もう、この先一生旅行はできないのか、と問うたらきっとそんなことはない。きっと1年も過ぎればみんなコロナなんか忘れて、次の話題が盛り上がるだけなのではないだろうか?

 

コロナにはワクチンも特効薬も無いのだから...という言説は、このたったひとつのファクトが容易に覆す(はずだけど、必ずしも現状がそうでないのが不思議ではある)。即ち、「インフルエンザの死者数 > コロナの死者数」。ワクチンも薬もあるインフルエンザの方がコロナよりも怖い、という冷静な事実に気づけば、コロナ騒動もそのうち終息するのではないだろうか、というのが筆者の見立てである。だから、当面の混乱はあるにせよ、そのうちマスクは不要になり、アクリル板は撤去され、レジにはできるだけ詰めて並び、観光地からは旅行客が歓迎される、ような世界が戻ってくるに違いない。

 

では結局、コロナとはただの一過性のものであり、世界を変えるほどインパクトのある現象ではないのではなかろうか?というのが筆者のこの間の疑問であった。

 

で、何故今これを書いているかと言えば、その疑問に筆者なりの解を得られたからである。

 

解:コロナは世界に変化を与えない。但し、今ある変化の速度を増す。

 

コロナは格差を拡大させる

コロナは社会を分断する

 

いずれも既に世の中の潮流になっていることではあるけれど、これを加速させるのがコロナかな?と... 

 

テレワークだって、テレワークできる人(職種)の場合はビフォーコロナだってテレワークだったし、テレワークに向かない人は...だから、コロナが仕事のありようを変えた、という程のことではない。

 

無論、大企業の一部はドラスティックに移行しているけれど、それだって、例えばリモートオフィスとかフリーアドレスとか、もう20年も30年も前から言われていたことである。SOHOなんて今や死語?それに何より、企業数の99%、雇用者数の70%を抱える(つまりほとんど多くの企業が含まれる)中小企業にあっては、そこまでドラスティックな移行はできないのが実情ではないだろうか?何となく、「効率は悪くなるけど、仕方ないから」的なお茶濁しが大多数なのではないだろうか?

 

上の意味から言えば、仕事のありようがテレワークに変わった、というほどのことではないのである。そして、企業の側からすれば、非効率なテレワークをいつまでも継続するとは思えない。 だから、いつまでもテレワーク一辺倒な訳がない。いずれ、元のオフィスワークに戻さざるを得ない。

 

ところが、コロナ下のテレワークは成果主義を白日の下にさらしてしまった。

「おっ!意外とあいつがいなくても何とかなるぞっ!」

だから、ポストコロナでは「テレワークで効率的に働ける人」「オフィスに必要な人」が選別されて、「それ以外」は...、オフィス(在宅含む)に戻れた人と、そうでない人の間で格差が生まれ、新たな権利の主張は社会の分断を生むという...

 

結局、今既に起きている格差と分断に、コロナという新たな火種が提供されただけなのではないだろうか、というのが筆者の解である。

 

まぁ、ピケティに言わせれば、各債の拡大なんて2,000年の間ずっとそうだった、ってことになるのだろう。歴史的に格差を縮小したのは「災害」と「戦争」でしたっけ?「世界的な累進課税」なんて今の米中ワクチン開発戦争を見てたらできるはずないし、実際のところ必要かつ実現可能な政策は「2類感染症」指定の解除くらいか?というのが穏当な結論であったりして...

 

政権も交代するそうであるし、是非!