5G に見る Hi-Vision のデジュヴュー

三十年近く前のことであるが、筆者は某家電メーカーに在籍していて、某TV工場に勤務していたことがある。某メーカーは、確か「ハイビジョン推進協会」とか何とか言う、郵政省だのNHKだのが主導する業界団体に所属していて、筆者の在籍していた部署の先輩(というには当時新卒社員だった筆者からは年齢が遠い部長待遇だった方)がその団体を担当していた。その先輩には色々と教えて頂いたし、たまにはその団体の開催するセミナーなどにも出席して勉強する機会等を頂いていたのだが、今考えると大変有難いことであった(感謝)。

 

さて、そんな勉強会のとある一コマで、こんなことを言っていた記憶がある。曰く

 

「TV規格のモノクロからカラーへの移行は消費者に大きなインパクトを与えたので、消費者には買い替えの強い動機があり、カラーTVはすぐに普及した。一方 Hi-Vision は、現行の NTSC に比較すれば各段に画質が向上するとは言え、現状のカラー放送で消費者は満足してしまっているので、カラー移行時のような強い動機を消費者に植え付けることには成功していない。これが Hi-Vision が普及しない大きな原因であり、今後のs課題である」云々...

 

で結局(筆者の見るところ)Hi-Vision(とは今や言わなくなってしまったけれど)を普及させたドライバーは、地上波アナログ放送の終了(地上波デジタル放送への強制的移行)であった、と筆者はみている。確かに、今の Hi-Vision 画質に慣れてしまった目で以前の NTSC 信号を見るとその画質の酷さに驚くのではあるが、とは言え、移行しない前、すなわち Hi-Vision に目が慣れていない時点では、NTSC で充分だったのである。4k、8kの普及が進まない所以でもあろう。

 

そんなことを、5Gを見ていると思いだした。5Gに慣れてしまえば4Gには戻れなくなるのかもしれないけれど、現時点で必要性を問われると、答えに窮す。5Gは高速大容量・低遅延性・多同時接続性がウリなのだそうであるが、それを要するアプリケーションが思いつかない(せいぜい、遠隔高画質監視と遠隔操作、例えば遠隔手術や遠隔高速移動体操縦、等くらいである)。少なくとも、一般の企業(就中、中小企業)にとって必要な(無ければ会社経営にとって致命的な)アプリケーションは思いつかないのである。

 

あるいは一般消費者にとって、動画のダウンロード時間が短縮されたところでストリーミングで見れば関係ないし、スマホで見ている以上、これ以上の画質は必要無さそう。4k、8k大画面でストリーミング...?まずは4k、8k受像機の普及が先であろう。高速回線により動画が途中でフリーズするようなストレスからは解放されるくらいか?

 

例えば昨日参観した展示会。とあるブースでは「AIエッジ × 5G」なんて謳っていたのだけれど、この概念は矛盾しているのではないだろうか。すなわち、エッジコンピューティングが発展するのであれば高速回線は不要だし、高速回線があるのであればサーバ側に処理させればコスト面でも効率面でも横展開の面でも都合がよいではないか。そんな疑問を出展社の説明員に投げかけてみたのだが、残念ながら明確な(筆者の納得し得る)示唆は得られなかった。

 

あるいは他のブースでは、5G 回線を利用した映像送受信のデモを行っていた。ところが、送信側カメラ - 受信側モニタ間で甚だしい(秒単位の)遅延が生じていたのである。出展社の技術者の方に聞いてみたところ、次のような回答であった。すなわち、インターネット回線の遅延(必ず発生する)とエンコーダ/デコーダの遅延(必ず発生する)であった(あと恐らくは、撮像/描画の遅延もあると思われる)。5Gがいくら低レイテンシーを謳ったところでそれは無線区間だけの話であり、システム全体ではそれを実現できないのである。恐らくはアナログ専用線に勝る速度は出せないのが必定であろう。

 

という訳で、5Gを本当に普及させようと思ったら、総務省が電波帯域の4Gへの開放を中止して無理やり5Gに移行させる以外の方法が無いのではないか、等とずっと思っていたのである(かつての Hi-Visionと同じように)。そしてその考えを改めるヒントを得ようと思って展示会を参観したのだけれど、残念ながら基本的な考えはそこから全く変わらなかった。

 

で、それはきっと筆者の頭が悪くて且つ固いからであろうと思って自分なりに改めて考えてみた結果、たどり着いた結論はコレ。

 

「5G はデータのオブジェクト指向化」

 

まぁ正直、言ってる筆者本人もその意味を10%くらいしか理解していない。だから論ずるにも足りないのは承知しているのだけれど、一応頭の体操と思っている。

 

前提として、データと情報の違いがある。すなわち「データ」とはある一定の事実でしか無い一方、「情報」とは受け手の思考や行動を変化させ得る「データ」のことである(と筆者は理解している)。

 

例えば天気予報で「今日は雨」と言われた時、「今日は雨」は単なる「データ」に過ぎない。ところで、外出する人に取っては傘を持っていくか判断し実行するので、「今日は雨」は「情報」になり得る。一方、外出する予定も洗濯物を干す予定も無い人にとっては、「今日は雨?何ソレ関係無いし」なのだから「情報」足り得ない、という理論。

 

「データ」と「情報」をそのように分けて捉えた時

 

4G以前の世界:情報を送受信する

5G以降の世界:データを送受信する

 

と考えることはできそうで、これは次にように言い換えることができそうな気がする。

 

4G以前の世界:戻り値を返す(戻り値は戻すべきで、返すのは返り血?)

5G以降の世界:オブジェクトを渡す

 

とか、あるいは

 

4G以前の世界:値渡し

5G以降の世界:参照渡し

 

とか考えると「情報の受信者」の選択結果が「データの送信者」にも何らかの影響を及ぼすことができると仮定すれば、5Gはある種のセンサを実現し得る、とも考えることができる(これは例えば、離れた位置にある2つの対称性を持つ粒子の、片方を観測することで対の状態を知ることができる、という性質に喩えて考えている。低レイテンシーの特性を活かすことにもなろう)。

 

まぁ、「だから何だ?」と言われたらやはり「いや、自分でも何を言ってるのかよく分からない」と正直に答えるところではあるけれど、折角展示会を回って得た結果が「面白くない」では面白くない。何かを否定をするのは簡単だけど、自分が何かを否定した瞬間に、「それを建設的に考え直してみたらどうなるか?」って問い直すべきだ、と個人的には考えている。だって、その方が面白いから...

 

そのうち、こんな妄想がもう少し自分の中で昇華されることもあるかもしれない、と10%の期待を込めて。